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外語学生のこと

おはようございます!この投稿では、自分の外語学体験のことをシェアします。僕は平成9年に生まれ、たくさんの人々に比べ、とても若く始まりましたと思い出してください。

僕の初めての外国語はスペイン語で、テレビでメヒコの音楽を聴いて楽しむ後で、平成20年6月15日にスペイン語の勉強を始まりました。あの時には、まだ勉強にならなかったことと言いたがったら、Google翻訳を使って、あの頃のGoogle翻訳が下手でした。しかし、本当に習ったら、基本的にスペイン語を学ぶ方法は三つのカセットのセットだけでした。まだあって、ケースの写真は下にあります。平成20年12月26日に買った、El Trono de Méxicoの「Almas Gemelas」とパンチョ・バラサのラブソング編「Las Románticas de Pancho Barraza」は僕の第一斗と第二メヒコのCDですよ。平成23年、初めて見たメヒコの映画のDVDを買って、あの映画はTacos al Carbón(昭和46年発表)ですよ。オンオフでスペイン語を学ぶだけど、僕のスペイン語は他の学ぶ外語より上手よ。平成29年11月から12月まで、GEDを受け取るためコンピューター授業に行って、あの頃は、GEDを受け取るため行くグアテマラ人と練習して、平成30年2月、兄と僕はCRCを受け取るためコンピューター授業に行ったときも練習しました。令和1年秋から令和2年秋までアーカンソー州モンティセロ大学(UAM)の学生で、専門はModern Languagesで、あの専門はスペイン語と、フランス語と、ラテン語も必要にされて、スペイン語の授業と日本語の授業の学生になるためワクワクしました。平成28年から、メモリーを新しくためDuolingoを使います。スペイン語を練習した前回は数週間前、メヒコ料理のレストランにいたけど、あの前に練習した前回は数年前でしたから、スペイン語でビーフステーキということと忘れました(家族のために食べ物をご注文して、ビーフステーキは僕のじゃなかった)。

僕の第二外語は日本語で、UAMの本屋へ行って、母は「興味があることを探して」と言って、僕は日本語のチャートを見つける後(今は、あのチャートがありません)、平成21年9月28日に日本語の勉強を始まりました。平成21年には、学ぶできる言葉は基本の単語とフレーズで、親にフレーズを二つ教えたけど、前見て、あの図を一つ間違って教えました。親は平成24年に僕のためにポケット日本語辞書を買って(まだあります)、10月によく仮名を学んで、数漢字と図をもっと学びました。あれは僕の日本語をよくにならなくて、 僕の第一日本語の動画で聞こえますよ。平成25年末から学ぶ可能の外語の動画を見て、たくさんの外語の基本の言葉を学んだけど、学ばないと決めた。平成28年からMemriseとDuolingoも使いますが、あの頃のDuolingoは日本語のコースがありませんでした。あれから、オンラインで日本人と友達になって、日本語授業の学生でした。今のところは、メモリーを新しくて、前に知らなかった単語とフレーズを学ぶため、ニンテンドー3DSで「My Japanese Coach」っていうDSソフトを使いますよ。

僕の第三外語はブラジルポルトガル語で、令和3年5月からオンオフで学ぶ理由は、まずはライブ配信者と会話を練習して( マルコトニオは主ライブ配信者だけど、英語と日本語もできます)、最後は、あの頃にブラジルへ引っ越すと考えました。今はブラジルポルトガル語の勉強を休みます。

総合的に外語を学ぶのが好きだけど、僕の好きな外国語は日本語ですよ。


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